2013年11月11日月曜日

朱に交われば赤くなる――法科大学院に通うカップルの会話から――

電車の座席に座っていた私の横に法科大学院に通っているらしい二人のカップルが座った。二人の傍若無人な会話を聞くともなしに聞いていた。

二人は司法試験受験への不安を語り、法科大学院に行かずとも司法試験に合格できるという予備試験組への不満を語り、それから試験合格後の二人の夢を語る。

前途洋々とした二人の未来を聞きながら、
「頑張って欲しいもんだな」
と他人ごとのように聞いていたけれども、開業後どんな事案を扱いたいか、という話題について話すのを聞いて嫌な気分になった。
女「どんな事案をカズ君は扱いたいの?」
男「俺は誰がどう見ても有罪の、極悪な人間を無罪にまで持ち込んでみたいな」
女「無実の人間を救いたいよね」
男「違うよ。罪を実際に犯した人間を無罪に持ち込みたいんだ」
女「え?」
男「それが弁護士になる人間の誰もが夢見ることだとおもうけれどね」
こんな内容の会話を始めたのだ。もっと法律家っぽい用語を使って話していたと思うのだが、私は法律用語に疎いので正確に再現できないことを残念に思う。
女「ええ? それが本当に人を殺していても?」
男「もちろん」
女「私はそんなことを考えないな。被害者のことを考えると、そんな人間の弁護は引き受けられない」
女は若干引いていたように見受けられる。
男「被害者のことを考えるのはケアワーカーとか、別の専門家の仕事だよ。俺たちに必要なのは、目の前の犯罪者の権利をどれだけ守れるか、ということ。犯罪者だったら余計に世間から彼の身を守り、捜査の不備を追求するべきだよ。その結果無罪に持ち込むことができるなら、こんな素晴らしいことはないよ」
女「そうかなぁ」
男「弁護士にとっての名誉は、例えば麻原彰晃のような人間を無罪にすることだよ。俺は授業を受けていて、そういう弁護士にならなきゃいけないと思ったな」
ふーん、と思いながら、私が考えたのは、
「よく考えたら、悪の味方の弁護士が、今は多いのかもな」
ということだった。

弁護士というと、昔のイメージが強いため、弱者の味方となって企業や暴力団のような強者と闘う、という姿をなんとなく想像しないだろうか?

だが、国民保護の姿勢が浸透した今の日本では、弁護士は企業側に立って消費者からの要求をはねのけたり、犯罪者側に立って検察の追求を退けたり、そういう仕事の方が多いのかもしれない。

「朱に交われば赤くなる」
という。常日頃から悪に接し、悪と語らい、悪と遊び、そして悪のために尽くす現役弁護士の皆さんの精神は知らず知らず歪んでいるのかもしれない。そういう教師に学んだ彼らもまた、悪の道へと進むのかもしれない。

そんなことをついつい考えてしまった。

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