2013年9月6日金曜日

そもそも相続制度自体が差別の温床

結婚していない男女の間に生まれた子供(=婚外子)の遺産相続分は、これまで結婚している男女の間に生まれた子供(=嫡出子)の相続分の2分の1に、民法で定められてきた。この規定が、憲法に違反している、という判断がくだされた。

★ 婚外子相続格差は違憲=「家族形態は多様化」

この判決には賛否両論あるようだが「当然の判決だ」「差別の一つがようやく解消された」などという意見を見かけると、それは違うだろ? と突っ込みたくなる。

★ 子供には自分が「婚外子」になるかどうかなんて選びようがないわけで。

昔、「仕事なんてクソだろ?job is shit!」という大変おもしろいブログがあった。上記のブログ「脱社畜ブログ」はその後を継ぐタイプのもので、社畜やブラック企業に対して鋭い批判を行っていて面白いのだけれども、残念なことに時々おかしな論調のものが混じる。

上記記事もそのたぐいで、
そもそも、子供には自分が「婚外子」になるかどうかなんて選びようがないのだ。こういった生まれながらにして選べない地位に基づく必然性のない不平等な扱いをすることが、差別ではなくてなんなのだろう。
などというところは、どうかと思う。

そもそも生まれながらにして親を選べないのはどの子供にとっても同じだ。そして、生まれた親の経済状態によって、私たちの育つ環境には大きな格差が生まれる。金持ちは子供に財産を相続するため、世の中が進むに連れて、金持ちはますます金持ちとなっていく。

金持ちと貧乏人との間の格差の固定が階級を生み、人種ごとの格差などを生み、それが差別の温床となる。もしも差別を正そうと思うのならば、相続制度自体を中止しなければならないだろう。

これは私の独断じゃない。経済学の大家で、共産主義を作り上げたことで名高いマルクスのお仲間でもあるエンゲルスの著作に『家族・私有財産・国家の起源』というものがある。

エンゲルスはこの中で、私有財産制度が階級制度などの差別や戦争を生み出したと説いている。相続を目的にした一夫一婦制度はいずれ廃止しなければならないとも。相続制度が差別の温床だと、社会と経済の問題に長年取り組んだとびっきりの知性の1人が、指摘しているのだ。

相続制度という差別の温床を肯定する癖に、婚外子差別はおかしいなどという人は、
「人を殺す時に首を絞めて殺すと残酷だから、スパっとナイフを使って殺してやろう」
というのと似ている。残酷なのがダメならそもそも人を殺すな、と誰しもが思うし、こんなことを言うやつがいたら、滑稽だと思う。

差別の温床である相続制度を肯定しつつ、婚外子の相続権制限を差別だと騒ぎ立てるのは偽善行為でしかない。一貫性がない。

そもそも「自分の遺伝子を有する子孫を大切にしたい」という利己的な欲求は、人間の本能だ。本能からかけ離れた制度は必ず破綻することは、歴史が証明している。現に、上記のエンゲルスらの理想に殉じた旧社会主義の国々は、100年もたずに破綻してしまった。

だから、人間の本能を具体化した相続制度は、たとえ差別の温床であろうとも、人間の業として肯定されるべきだろう。相続権の制限などの規制は、差別かどうか、という観点ではなく、社会の繁栄につながるかどうか、という観点で判断されるべきではないか、と私は思うのだ。

今回最高裁判所が婚外子の相続権の制限を憲法違反とした背景に、「家族形態の多様化や国民意識の変化など」があったそうだ。

たしかに、結婚しないまま子供を産む女性も増えている。先日、プロスケーターの安藤美姫が未婚の母となって話題となった。

だが、多様化して国民意識が変化していく先には、社会の繁栄はあるのだろうか。

経済的、社会的に成功、安定した家族のあり方は、たいてい似通っている。オーソドックス(正統派)という言葉もある。彼らは夫婦がお互いに愛しあい、責任を持ち、親子が支えあい、兄弟姉妹が助けあうというあり方を続けていて、単純で、多様性はない。

婚外子、事実婚、未婚の母、不倫、略奪愛、育児放棄、子供への虐待などなど、様々な家族のあり方は、気をつけないとそのまま下へ、下へと堕ちていくきっかけとなる。下層階級の人々の家族のあり方はとても多様だ。でもそのあり方は、助け合う舫い綱(もやいづな)を失ったバラバラの船に似ている。まとまりがない。多様性はあっても調和がない。

差別解消、多様性などの美名のもとで、下層階級の人々は家族同士の連帯を失い、責任をお互いに取ること無く、いがみ合い、その結果、さらに貧しい生活を営むはめに陥ることが多いものだ。

私は婚外子へ差別を設けたこれまでの法制度は「婚外子を産もう」という女性の意欲に一定の歯止めの役割を果たしてきたと思うから、それがなくなり、婚外子を産む女性が増えれば、貧しい家庭の増加につながり、社会の繁栄にはつながらないのではないか、と懸念する。

まあ、今さらどうしようもない。私が、これから作る家族を大切にしていけば、いいか。

2 件のコメント:

  1. この件に関して、「賛」にも「否」にもイマイチ納得できるものがなかったのですが、このブログが一番ストンと胸に落ちました。
    「脱社畜ブログ」の主ですが、最近お仕事を辞められて社畜・ブラック企業ネタも尽きてきたせいか、ますますおかしな論調のものが増えてきて残念に感じております。でも社畜関係以外のことを語ってはいけない訳ではないから仕方ありませんけどね。

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  2. montjeu様
    >>このブログが一番ストンと胸に落ちました。
    ありがとうございます。

    >>最近お仕事を辞められて社畜・ブラック企業ネタも尽きてきたせいか
    ブログ主の元勤め先はブラックではなかったようですが、それでも会社を辞めたために、社畜への共感、社畜たらしめる制度への反感が持続できなくなったのかもしれません。共感できない記事が、前よりも若干ですが、増えてますよね。

    でも、社会の理不尽さに怒りをお持ちの方なので、いずれまた前の調子を取り戻していくことでしょう。

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