2013年8月13日火曜日

ネットワークは文字でつながっている

『サマー・ウォーズ』という映画がある。今から少し先の未来を描いた作品だ。

そこでは「OZ」という仮想現実空間の中で、誰もが「アバター」と呼ばれる分身をその中に作る。アバター同士が日常と同じように会話して、交流するのが当たり前の世界がそこに描かれている。
SUMMER WARS FILM PARTNERSのサイトより
ネットワーク上で人々が結び合った世界を、1980年台頃からSF作家が想像するようになった。そこで想像された未来では、上記のような視覚的な、3D的な仮想現実空間がネットワーク上に構築され、その中で私たちがお互いに結びつくだろうというものだった。

でも、光ファイバーなどが各家庭に行き渡り、電子技術もそれなりに進み、3D世界がリアルになったにも関わらず、3Dで描かれた仮想現実空間の中で交流する方向には進んでいない。

アメーバピグやHABOなどのような2次元の仮想現実空間はそれなりに流行っているものの、好きな人々の一部が利用しているだけで、爆発的な人気を得るに至らない。

それが未来のあるべき姿ならば、人々は自然にそちらへと向かって進むべきなのに。以前「セカンドライフ」というサービスが提供されて、
「これがネットワーク世界が向かう先だ」
と喧伝されたけれども、けっきょく鳴かず飛ばず、今ではほとんど人に忘れ去られた存在となった。

ネットワーク社会が発展した先に待つものは? その答えが「2ちゃんねる」であり、「LINE」なのだろうと思う。

文字で書かれた情報をやりとりするだけなのに、人々はそこに現実以上のリアリティーを感じながら今では生活している。文字だけでは寂しいと思ったら、スタンプや顔文字を入れる。でも、基本的にはテキストベースだ。

今では「LINE」や「Twitter」、「はてなブックマーク」や「ブログ」がお互いを結びつけている。全て言葉だ。言葉で人々は結ばれる。

所定の文字列をクリックすればリンク先へ飛ぶ。これぞまさに、ネットクワークの醍醐味だ。当たり前のように感じているけれども、それが三次元で結びついている様を想像すると、かなりの迫力だ。

なぜだろう? いずれ技術が進歩して、手持ちのバソコン上でも、3Dの映像空間の中でアバターを自在に動かせるようになれば、人々は文字情報で交流することよりも、アバターを使って3Dの仮想空間の中で会話することの方を選ぶようになるのだろうか? セカンドライフが、再び脚光を浴びるようになるのだろうか?

そうはならないような気がするのだ。人々がつながるのに、映像的な情報は必要ない。むしろ、絵や3Dのような情報量が多すぎるものだと、交流よりも先に頭が疲れてしまう。

現代人は普段の仕事で、疲れているのだ。何もわざわざ、インターネット上でも疲れる必要はない。オンラインゲームを楽しむのは学生と主婦がメインで、普段の仕事で疲れているビジネスマンにはその余裕がない。

人々は楽な方へと進んでいく。今後もネットワークが進む先は、高機能の映像空間にあるのではなく、この文字情報をいかに楽しく面白くやりとりできるか、という方向にあるのだろう。

また、右脳と左脳の違いも関係あるように思う。右脳は直感的で、世界と自己とが一体化している感覚を生む場所であり、左脳は論理的で、自他を区別する場所であると、ジル・ボルト・テイラーという脳機能学者が以前述べていた。

映像よりも言葉によって、人間は自他を区分けするのだとしたら、インターネットのような本当にすべてがつながった空間の中で、自他の区別が曖昧な中で自我を保つためには、言葉というワンクッションを置くのが、人間にとっては楽なのだ。言葉ほど簡単に思考を明確化できるものはない。

言葉を使わずに、視覚情報のみのやり取り、果ては思考以前の段階のイメージのやり取りばかりしていると、自分とインターネットの境界が曖昧となり、まるで精神病者のように自我が崩壊して、正気を保てなくなるのではないだろうか。

世界がつながるからこそ、言葉によって思考を世界から切り離す必用がある。そのためには、今のように、言葉によって他人とつながるあり方が一番、人間にとって楽なあり方なのかもしれない。

……ということを、喫茶店で周囲の学生のほとんどが、LINEとTwitterの話ばかりで盛り上がっているのを聞きながら考えたのだった。

今の若い人の会話の内容の9割はインターネットに関することだ。それは驚くほどだ。すでに世界は文字でつながり、これからも文字でつながり続けるのだろう。

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