2013年8月18日日曜日

歴史は繰り返してヨーロッパはローマの後を追う

ジェレミー・バンバー ~「マジソンズ博物館」より~
ヨーロッパで、仮釈放の可能性のない終身刑(=絶対的終身刑)が、残酷だという理由で廃止されることになったという。

★ 仮釈放ない終身刑:英制度廃止へ 欧州人権裁「非人間的」
死刑を廃止している欧州で、今度は絶対的終身刑が廃止されることになった。(中略)欧州人権裁判所は判決(7月9日)で、終身刑規定自体は容認しながらも、一定期間を過ぎた場合の仮釈放の規定がないことについて「刑務所内で死ぬことが決定していることは非人間的だ」として欧州人権条約違反と認定。
そもそもこの判決のきっかけとなったのが、両親をふくむ家族5人を殺したジェレミー・バンバーが「絶対的終身刑は欧州人権条約に違反する」という理由で欧州人ケイン裁判所に訴えたこと。このバンバーの犯罪については、

★ 殺人博物館~ジェレミー・バンバー

が詳しい。

ちなみに要約すると、地元の名士であるバンバー家は子宝に恵まれずに2人の養子をとったが、養子に厳しく接したために姉は精神病となり未婚のまま双子を出産する。そんな環境を弟のジェレミーは義親のせいだと恨み、そして遺産を全て乗っ取るために、義親、義姉、その双子全員を射殺して、死んだ義姉に罪をなすりつけようとしたという事件だ。

ところが犯行後に元恋人に密告されて、すべてばれてしまった。

まあ、どうしようもないクズだ。刑務所の中でも反省なんてしてないだろ。それでも外形上反省していれば、矯正されたと司法は判断するのだろう。そして25年経てば、仮釈放される。被害者の人権は今さらどうしようもない、それよりも重要なのは生きている加害者の人権だ、という理由で。

激しい怒りが沸き起こる。正しい者、か弱きもの、声なき衆生の声は届かず、反省をした風を装った無法者の罪を許さなければならない、ということか。

とはいえ、どのような罪であっても償えないものはない、というのが欧米人の考えの根底にある。だからこそナチスの罪を反省し続けたドイツを戦後50年を経て、周辺各国は許した。これを考えると、第二次世界大戦で悪者となった日本で生まれ育った日本人としては、「殺人者許すまじ」という感情を発露することにいささかためらうものがある。

決して許せない罪があり、憎み続けなければならないと思うのならば、
「日本が加害者で韓国が被害者という立場は、千年経っても変わらない」
などとほざいた韓国政治家とメンタリティーが変わらない、と批判されても仕方ないからだ。

日韓条約無視や遡及法の制定など、法治国家の体をなさない韓国のメンタリティーとは似通いたくはないもの。刑務所の目的があくまで罪をつぐない犯罪者を更生させるためにあるのだとしたら、時を経て真人間となった元犯罪者は「許さなくてはならない」ものなのかもしれない。

それにしてもねぇ。理屈は分かるが、感情が納得しない。

「ローマ市民権」という言葉をご存知だと思う。古代ローマはイタリア本土と属州に分かれており、イタリアに住む者は自由民と奴隷とに分かれていた。イタリアの自由民に与えられていたものがローマ市民権だ。ウィキペディアによれば、
市民権の保持者はコロッセウムでの観劇や浴場への立ち入りの権利を与えられ、また皇帝や有力者からの贈り物を受け取ることができた
そうだ。また投票権があり、納税の義務もない。この市民権は特権であり、奴隷や属州の人々はこの特権を求め、ローマ市民権を持つ者はこの特権を守るために、周辺の民族と戦い、偉大なるローマを守り続けてきた。

ところが西暦212年、カラカラ帝はアントニヌスの勅令を出して、ローマ帝国のすべての自由民にローマ市民権を与えてしまう。
このことが、ローマに衰退をもたらした。

なぜなら「ローマ市民」というプライドがあればこそ、人々は皇帝をかつぎ、周辺民族からローマを守るために戦い続けてきたのだ。忠誠心はプライドあればこそ。それが誰でも持てるというものならば、その価値は下がる。

かくしてローマは、ゲルマン人の侵攻に抗する気概ある人材を欠くようになり、衰亡へと向かっていった。

さて、ヨーロッパに話を戻す。

欧州発祥の基本的人権はすべての人々に与えられた所与の権利だ。ローマ市民権と異なり、特権ではないように思える。

けれども、この人権が大きく制限される場合がある。それが法を犯したときだ。その上罪を犯した人間は、刑務所から出所した後も、前科者として忌み嫌われる。だから、人々は罪を決して犯さないように気を配る。これがまっとうな人間の最低限度のプライドだ。

ところが、何十人と人を殺しても死刑にしてはならないとか、重度の犯罪を犯した人間であっても仮釈放を認めなくてはならないなどといったヨーロッパの司法が放つメッセージは、この最低限度のプライドを地域内の人々から奪いやしないだろうか。

無論、ほとんどの人は大量殺人などとは無縁の生活を送るけれども、メディアで報道される重大犯罪が司法でどのように裁かれていくか、というニュースは、人々の行動の指標となる。悪質な殺人という最低限度の規範を破ったものはどのように裁かれるか、それは人々の行動の最低限度の基準値の根拠となる。

そして、何十人と殺した人間、家族を殺して罪を姉になすりつけようとしたような人間がでも反省すればシャバに戻れます、というメッセージは、人々から、
「せめて犯罪は犯さない」
というささやかなプライドを失わせ、ヨーロッパに対する忠誠心を失わせることになりやしないだろうか。

「歴史は繰り返す」という。ヨーロッパはローマを範として作られた一種の帝国であるけれども、この帝国も、ローマ帝国と同じような過ちを、今まさに、犯そうとしているような気がしてならない。

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