2013年8月16日金曜日

飯抜きと頬への殴打

子供の頃に与えられる罰に「飯抜き」というものがある。たぶん大昔前から親が子供に対する有効な罰として「飯抜き」が存在していたと思うのだが、あれは、
「飯を抜くことで食事代を浮かせようという庶民の知恵」
の一つだったのではないかと考えたのはつい最近である。

野生動物が三食間違いなく食べられるとは限らない。もちろん、草食動物なぞは起きている間のほとんどは食事タイムなのだろうが、肉食動物は違う。獲物を捕まえられない日が何日も、時には何週間も続くことさえあるという。

草食動物であっても、冬の間は食べ物を手に入れるのに難儀をする。シカが冬、草を食えずに樹木の皮を剥いで食べるシーンは、哀れを誘う。

人間も同じだろう。食事を毎日3食食べられるようになったのはつい最近のはずだ。近年になっても、食事代に事欠く家庭はたくさんあった。彼らの窮余の策の一つとして、
「飯抜き」
という方法を取られていたのだろう。単なる罰ではなく、家庭の都合で食事を抜かねばならない時代があったのだ。

だから、昔飯抜きの罰を受けていたからという理由で、
「親から昔、このような罰を受けていたことがあったから、子供にも同じような罰を与えなければならない」
と考えるのは誤りだ。

その他にも、今でも親が子供に行う体罰の一つに、ほっぺたを平手でたたく、というものがある。先日芸人が番組内で平手で叩きあうゲームを行い、その結果鼓膜が破れるという事件が起こった。

「頬を張る」ことも「飯を抜く」のと同じように、本来は別の意図がある罰だと思う。戦前に軍隊内で横行したこの罰は、
「体に傷をつけずに肉体的なダメージを与えるにはどうすればいいのか」
という観点で行われた。

頬は柔らかいので、殴っても外側に傷がつきにくい。ところが顔面には神経が無数に走っているので、殴打された時の激痛は身体の他の箇所を殴られるよりも上回るので、傷の目立たない効果的な罰として都合がいい。

閲兵などで外部の人間から観察される機会が多い軍隊内では、背中へムチで叩かれたような痕が残ってはいけない、という配慮をされたのだろう。体罰の存在を隠蔽することもできた。そこから「頬を張る」という体罰が慢性化したのだろう。

しかし、頬の周囲には歯もあれば鼓膜も眼球もある。まかり間違えば、大事になる。本来ならば叩くのに適した場所ではない。

現に、体罰の本場であるアラブでも、背中を鞭で打つという罰はあっても、頬を殴るという罰はない。日本の古来の刑罰でも、頬を殴るという罰は聞かない。目立たない、激痛が他の箇所よりも大きい、という以外には、デメリットのほうが大きな罰だからだ。

体罰には、本来の発生理由がなくなっても、慣習として横行しているものがある。怒りのタガが外れて子供に体罰をおこないそうになったときに、もう一つ、
「体罰には無意味なものがある」
というタガをはめていれば、誤った行為を行わずに済むかもしれない。

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