2013年8月1日木曜日

麻生太郎はなぜ失言を繰り返すのか? その理由

誤解をしないで欲しいが、私は麻生太郎が好きだ。彼を見ていると"ジェントルマン"という単語が自然に思い浮かぶ。生まれながらの貴族、それでいて活動的。広範囲の知識を持ち、庶民の感覚も持ち合わせていて、現実的でありながら理想家。

いい人間なのだ――軽率でさえなければ。

彼の失言癖は病的なレベルにある。それも、絶対に言ってはいけないと誰もが分かるレベルの失言をしてしまう。

★ 麻生財務相に非難の嵐-「ワイマール憲法」発言で
国内メディアによると、麻生氏は29日の東京での演説で、「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」と述べた。この発言については麻生氏の事務所が確認した。
言いたいことは分かる。憲法改正のために激論を引き起こして国内世論を疲弊させるのではなく、通常国会の静かな議論の積み重ねの中で憲法改正を少しずつ進めていくべきだと言いたいのだろう。

でも、何もその例えとして、世界中から忌み嫌われているナチスの手法をあえて挙げなくもていいだろう。それがどれほど馬鹿げた例えで、どれほど多くの人の嫌悪感を引き起こすのか、直感的に分かるはずなのだ、普通の人ならば。

ところが麻生氏は、つい言ってしまう。似たようなことはこれまでもあった。中でも最悪だと思ったのは、元衆議院議員の野中広務に対する発言だ。
「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんかできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」
 野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。(魚住昭『野中広務 差別と権力』より)
野中広務 差別と権力 (講談社文庫)
野中広務という人を私は嫌いだ。媚中派の筆頭であり、「尖閣諸島問題を棚上げする日中の合意があったと私は田中角栄から直接聞いた」などと見てきたような嘘を平気で述べ、高圧的に言論の自由を封じようとする彼を好きになれない。

だが、それと彼の出自は別だろう。先祖が被差別部落出身? だからなんだと言うのだろう? 同じ日本人じゃないか。貧しい身分から這い上がった彼のことを称賛こそすれ、それを理由に貶めるようなことじゃない。そのような人間は恥知らずだ。ところがそれを麻生氏は平気でする。

何故だろうね? 以前「漢字が読めない」などと批判されていたけれども、彼は相当の教養人だ。大変な達筆で、語学も堪能、相当の読書家であり、世界の情勢にも明るくかなりの知識がある。
彼は間違いなく頭がいい。

ただ、教養があることと軽率であることは両立する。前者は記憶力の問題で、後者は性格の問題だからだ。

なぜ麻生氏はこれほどまでに軽率なのだろう?

1.細かいことにこだわれない
彼は、漢字の読み間違えが多かった。普通人よりもそれは頻繁だった。

ところが、読もうと思えば読めるのだ。2009年1月20日の参院予算委員会では、難読の漢字テストを野党から出されて即座に回答している。

彼がかつて読み間違えた熟語も、落ち着いて読めば間違えないはずだ。ところが、いい加減に読み飛ばすのが彼の癖だ。

その理由は、育てられ方にあるのだろう。いわゆる「帝王学」というものだ。
帝王学(ていおうがく)とは、王家や伝統ある家系・家柄などの特別な地位の跡継ぎに対する、幼少時から家督を継承するまでの特別教育を指す。学と名はついているが明確な定義のある学問ではなく、一般人における教育には該当しない。
日本における理想のリーダーは、細かいところにこだわらず、大局観で物事を判断する人間である。よく引き合いに出されるのが、日露戦争時の大山巌・陸軍大将が、苦戦して殺気立った総司令部に現れて、総参謀長である児玉源太郎に、
「児玉さん、今日もどこかで戦(ゆっさ)がごわすか」
ととぼけて言ったというエピソードがある。

細かいところにこだわる者がリーダーでは部下が苦労する。だから、リーダーたるもの、あまり些事にこだわらないようにおおらかに育てるのが、かつての日本の帝王学だった。彼の家柄は古い。当然、そのように育てられたはずだ。

ところが鷹揚に育てられるデメリットとして、細かい部分に気を配ることをバカにする癖ができる。重箱の隅をつつくような詮索を嫌う。そして、漢字の読み方とか、数字だとかに注意を払うことがどうしてもおろそかになる。使用人や番頭がすることであり、当主が行うことではないからだ。

2.偽悪趣味

彼の祖父は吉田茂であり、高祖父は大久保利通だ。しかも麻生財閥の御曹司でもあるから、下手をすれば貴族趣味の鼻持ちならない男になってしまう。

ところが彼はマンガを読んでいることを公言し、歯切れのいい江戸弁で話し、庶民に近い自分を演出する。選挙対策という点もあるだろうが、私は、麻生氏なりの、自己研鑚の賜だと思っている。世間知らずのお殿様ではなく、下世話なことにも通じたリーダーたらんとした、彼の努力だ。

ところが、その偽悪趣味は、時として誰もが忌み嫌うことに平気で触れてしまう危険性をともなう。付け焼刃の俗物趣味だから、根っからの貴族である彼は、偽悪のマントを身にまとったものの、普段の衣装とは違いすぎてどう振る舞えばいいのか、勝手が時々わからなくなるのかもしれない。

3.論理的思考に価値判断力が追いつかない

頭のいい人間は弁が立つ。ところが、ことの善悪を判断する価値判断は、論理的思考とはまた別の能力だ。そして価値判断にはある程度の時間がかかる。

普通の人は論理的思考のスピードがそれほど速くないから、価値判断によって発言をチェックするだけの時間がある。ところが麻生氏の場合はチェックが追いつかない。

橋下徹大阪市長とその点は似ている。もっとゆっくりと発言すればいいのに、なまじ頭がいいものだから、間違ったことを言ってもすぐに取り繕えたのだろう。価値判断力を伸ばす努力を麻生氏は怠ってきた。そのツケが今、回っている。

4.根っこの差別意識が強い
「毒舌家は実は性格がいい」
などといわれることがあるが、あれは嘘だ。性格の根っこが腐っているから、毒を吐く。

麻生太郎は、高い身分の家に生まれ、その中で人格を育んできたものだから、下層階級の人間を本質的に軽蔑しているのかもしれない。

差別心が根強く、ナチスの思想にどこかで共感しているのだろう。その地が、ついつい出てしまったのではないか。

5.徹底的に痛めつけられた経験がない
普通、軽率な人間は、人生のどこかで大失敗をする。言ってはいけないことを言ったために最愛の人を失ったり、些細なことで同僚をからかったために会社で総スカンを食らって社内で居場所がなくなり転職を余儀なくされたり、請求書の数字をミスして勤務先に大損害を与えたり……。

たいていは社会人になってすぐ、大きなミスをして、徹底的に痛めつけられた経験をする。

それから反省をし、注意力を伸ばすために悪戦苦闘をする。中年に差し掛かった頃には、ある程度の注意力を身につける。

みんなこうして、それなりの社会人へと変貌を遂げるのだが、麻生太郎ほどの身分になると、たいていのミスは周りがカバーしてしまうため、根本的な反省をする機会を得ないまま年を経てしまったのだろう。

数年前の漢字の読み間違えは、彼に反省を促す契機となるはずだった。だがマスコミの指摘のピントがズレていたために、
「自分もどこか悪いところがあったのかもしれない」
という根本的な反省にまでは至らなかったのかもしれない。


それにしても、副総理という国際的にも注目される立場でありながら、ナチスを少しでも肯定的に引用してしまったこの人の脇の甘さにはうんざりする。自分もそうだから(笑)、余計に彼の粗忽な性格にイラっとするのかもしれない。

性格は抜群によく、能力も高い御仁なのだ。たとえば失言癖のあった中曽根康弘元首相や盟友の安倍首相のように、谷中の全生庵で坐禅を組むとか、精神修養に一度本格的に取り組んで見られてはいかがだろうか。

余計なお世話かもしれないが。

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