2013年8月15日木曜日

世界は変化し続けるために、安穏と生きることができない

文明が発達すればするほど、生活が苦しくなるとは、ある人の名言であった。

江戸時代に生きる人々は、日曜日の休みこそないものの、朝は9時頃から働きはじめ、午後3時頃に仕事を終えるのが一般的だったという。また、ライフスタイルとしても、40を越えたら家督を息子に譲り、あとは死ぬまで悠々自適の生活を送る、というのもごくごく普通の慣習だった。

もっとも、隠居後も実権は親がニギgっているというのはよくあることだったようだ。ただ、望むならば、いまだ若いうちからのんびり芝居見物や物見遊山で遊んで老後を過ごせるのは羨ましい話といえる。

それが今では共働きが当たり前、定年も下手をすると70歳まで延びそうな勢いである。こういった現実を下記の記事が改めてつきつける。

★ 減っていくそこそこのスキルの仕事
 以上の書籍(『The New Geography of Jobs』等)に共通に見られる主張は、コンピューターによって中間層の担ってきた中程度のスキルの仕事が喪失していること、これからの働き方に必要なのは、技術を駆使した「創造性・イノベーション」であること、そのためには「教育、能力向上」が必要だということである。
IT革命のせいで、知的労働需要は激減した。そこそこのスキルはコンピューターに置き換えられ、私たちに残されるのは少ない労賃の仕事か、コンピューターでは置き換えられないような高い能力を必要とする仕事ばかりとなる。

それが世界の選択ならば、従うしかないものの、果たして、アメリカが先導するこの社会の改革は、いったいいつまで続くのだろうか、と嘆息することがある。そして、答えはわかっている。

……たぶん、いつまでも続くのだ。

アメリカの哲学と言われるプラグマティズムによれば、自然科学上の新しい発見は、既知の「真理」が私たちの祖先の誤解や偏見を体系化したものでしかないと喝破した。現代という時代には、究極の真理というものはない。その時代に唯一言えることは、世界は変化し続けるということだけなのだ。

世界は変わり続ける。固定化した世界では不幸な目に遭う層が固定化されていくが、アメリカは変化を国是としているから、常に社会をかき混ぜることが大切だと思っている。彼らがリーダーである以上、世界は常に変化し続ける。

身分制度が社会の基本となっていたときは、能力があっても上に上がれない人々の怨嗟の声が巷にあふれていたものだが、現在では能力の低い人々のうめき声がネット上に蔓延している。引かれ者の小唄に同調してもしょうがないけれども、ただ、低所得でもいいから楽に生きる方法を残しておいてくれよと、恨み事の一つも言いたくなることがある。

昔、釈迦が「人生とは苦しみの連続である」と説いた。この世界には苦悩の種がつきることはない。進歩したのに不幸は同じくらい世の中に蔓延している。目に見えない苦痛の種が、次から次に湧いてくるのである。

私たちには、部屋の掃除を毎日するように、、それを少しずつ片づけていくことしかできないのだろう。

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