2013年7月6日土曜日

平安時代の流行病が日本人を守った

『銃・病原菌・鉄』によれば、北アメリカのネイティブ・アメリカンは、最盛期には2000万人いたそうだ。それが、白人が入植を本格的に開始する前に急速にその姿を消し、17世紀後半には100万人にまで減ってしまう。

ネイティブ・アメリカンの人口が減った原因は、白人入植者による虐殺よりも、もっと別の恐ろしい原因による影響が大きかった。

その理由が本のタイトルにもある病原菌だ。ヨーロッパの白人は家畜と日常的に接していた。牛や豚といった大型獣は、実は流行病の培養地でもある。家畜に広まった感染症の病原菌が、あるとき突然変異して人間に感染してしまう。その結果人間の間でも感染症が蔓延することは、家畜を飼う地域ではよく起こる話でもあった。

現代でも中国からインフルエンザが発症することが多いのは、現地で大量に飼育されている豚間の病気が、突然変異して人間へ感染するからだという。

白人は、家畜から伝染する様々な病気に対して長い時間をかけて抗体を獲得してきた。白人に比べて、大型獣を飼う習慣のなかったネイティブ・アメリカンは伝染病への耐性がなかった。そして、彼らは白人入植地から撒き散らされる伝染病に感染して、次第にその数を減らしていった。

同様のことはオーストラリアでも中南米でも起こった。大型獣を飼う習慣のある地域で発達した文明が、そうではない文明と接した時、優位に立てたのは病原菌のお陰だったというわけ。

こんな事を上掲書で読む内に、では日本はどうなのだろう? とふと思った。サミュエル・ハンティントンによれば文明の一つと見なされるほどの規模の日本文明が、西洋文明と過去に対峙したときがあった。室町時代末期の西洋人の伝来である。大航海時代を迎えて白人たちが日本にも大勢やってきたあの時代に、日本人が彼らのために駆逐されることはなかった。

日本では大型獣を飼う習慣があまりない。仏教の禁忌のために牛や豚の大量飼育は行われなかった。せいぜい、軍馬の放牧が限定された地域で行われていた程度。それなのに、16世紀半ばに白人が日本にやってきたときに、日本人が大量絶滅することはなく、彼らに征服されることもなかった。なぜなのだろうか?

この時に思い出すのが、平安時代以前にたびたび報告される流行病である。今昔物語などの当時の風物を伝える伝承では、流行病が幾度となくいろいろな地域で流行し、時には町や村が全滅することもあったという。

だが、それから数百年が経つと、流行病のせいで町が全滅する、という話は多くは聞かなくなる。無論、天然痘やコレラなどの大流行はあったものの、お伽草子に書かれるような大規模な伝染病の流行は影を潜める。

それは無論、衛生観念の浸透だとか、農産物の生産能力が向上して栄養状態が良くなったことなどのせいだろうが、日本人の間にある程度伝染病が行き渡り、一巡して、伝染病への抗体を人々が得た、という理由もあるのではないかと思う。

そこで思い出すのが遣隋使、遣唐使といった人々の存在だ。彼らが中国で病気に感染し、それが日本に持ち込まれたのは間違いない。その結果、何百万人という日本人が流行病で亡くなったのだろう。

だが、そのお陰で日本人は伝染病への抗体をすでに獲得していた。だから大航海時代に白人が日本に到達しても伝染病によって国力を落とすことはなく、白人から征服されることを免れたのではなかったか、ということを考えた。この仮説が合っているのかどうかわからないけれども。

たぶん「北風が勇者バイキングを作った」のだろう。




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