2013年6月16日日曜日

ラテン男の会話術――無闇矢鱈に声をかけるだけではない――

ラテンの乗りは日本人とはかなり異なる。特にラテン系の男性に顕著なのが、恋愛に積極的な点だろう。

家族以外の女性にはとりあえず口説く、などと評されていて、日本ではもてなかった女性でも、イタリアやスペイン、中南米に行けば必ず口説かれる。それに魅了される日本人女性はかなりの数に上るようだ。

日本人男性としては悔しい限りである。では、彼らと同じような乗りで女性に声をかければそれで済むのか、といえば、そうでもない。
「こんにちは! おごるから、一緒にそこでコーヒー飲まない?」
とラテンの乗りでナンパをする。彼らのように何十人にも飽きずに声をかけていれば、数人はそれに応えてくれるかもしれない。だが、その後が続かない。

彼らはどのような会話を繰り広げるのか……それを観察していると、ただ明るいだけではなく、ムードを作るのに長けていることに気がつく。そのムード作りについて、ご紹介しようと思う。

私の友人に、スペインに魅せられて、南米で働いている女性がいる。彼女にメールをすると、例外なく、
「今あなたのことを考えていた」
「あなたと話すのがとても楽しくてたまらない」
「あなたと一緒に過ごした日々が懐かしくてたまらない」
といった情熱的な言葉がメールの端々に書かれる。

誓って言うが、彼女と恋愛関係になったことは一度もないし、今後恋愛関係に陥ることも100%ない。だからこういうメールをもらうと、こそばゆくて叶わない。そこで、大抵は、
「そんなあからさまな嘘つかなくてもいいのに。そんなことを思ってもいないだろ」
と誤魔化した返事を返すのだが、それに対して彼女は、いっさい反応を示すことはなく、相変わらず情熱的な文章をメールにところどころ、織り交ぜる。

ところが、先日読んだ本によれば、この種のオーバーな表現はラテン系の外交辞令でしかないのだそうだ。彼女のオーバーな表現は、英語で毎回"Sincerely"と文末に書くようなもの。それに対して、
「そんな『親愛なる』なんて書かれるほど仲良くないじゃん」
と照れるような馬鹿げた反応を、私は示していたわけだ。あるいは日本語で「敬具」と書くからといって、相手を尊敬しているわけではないのと同じ、というところか。

(単なる社交辞令だよ、と言ってくれればいいのに)
私は彼女にも自分にも憤慨した。

スペイン人やメキシコ人などのラテン系の人々にとって、
「あなたとの出会いは私の人生を変えてしまった」
とか、
「あなたにすっかり魅了されてしまった」
という言葉は、"日常的”によく使うのだという。日本人にとってみれば、言葉が軽すぎる、と思えるのだが、彼らにとってみればそうではない。

会話は正しい情報を伝えるという目的よりも、その人に対する共感と好意を表現することが、より重要な目的なのだという。

これ、女性同士の会話、いわゆる「ガールズトーク」に、似ていないだろうか? 女性たちは、相手の話す内容に同意していなくても、とりあえず、
「そうだよね」
「分かる分かる」
と賛意を示す。そして彼女に批判をするときは、彼女のいないところで行う。

それに比べて男性は、批判を加えることに躊躇わない。
「ええ?! 俺はそうは思わないけれどな」
「それ、違うんじゃないの?」
思ってもいないのに賛意を示すことを、男性は不誠実だと思う。ところが女性の目には、それは思いやりがないものと映る。

表面上の言葉の正否よりも、感情の共有を目標とする場合、内容を否定することは人格を否定するようなもの。まずは賛意を示すことが大切であって、その内容が正しいかどうかは二の次となる。

ここが、ラテン系の男性と相性がいいところなのだろう。事実と異なる嘘を交えることは正しくないことだが(既婚者のくせに「僕結婚していないよ」と言うなど)、相手と感情を共有するために、ひとまず自分の気持は横において、相手の気持に同調することは正しいことだと、彼らは考えるのだ。

考えてみれば、日本人だって同じことをしている。先述の手紙の表現。日本人は敬っても拝んでもいない相手に対して、「敬具」と書いたり「拝啓」と書いたりするではないか。

尊敬してもいない相手に頭を下げることは、「嘘」なのだろうか? そうではないだろう。東洋文明は上下関係が基本だから、まず下手に出て、相手の機嫌をうかがう。西洋文明は恋愛関係が基本だから、まず相手の気分に同調し、そして好意を示す。それだけの違いなのである。

ラテン男性に声をかけられる女性に、感想を聞いたところ、彼女たちは異口同音に、
「最初は軽いと思っていたし、嫌な気がしたが、段々とそれが快感に変わっていった」
と答える。彼らのオーバーな表現は、「好意を伝えること」に当たる。それだけではダメだ。それに対する女性の反応に、今度は同調することが重要だ。

そして再び、オーバーな表現で好意を示す。これを繰り返す。そのうちに、女性の気持ちはある段階まで来ると男性の心と共鳴しあうようになり、日常から切り離され、この世界に二人っきりしかいないような錯覚にとらわれることがある。これが、これこそが「ムードを作る」ということなのだろう。

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