2013年4月12日金曜日

個人保証制度は必要かも

借金の個人保証制度なくならない理由を、「ニュースの教科書」というサイトで平成25年2月9日に記載された「日本ではなぜ借金の個人保証がなくならないのか?」という記事が解説していた。

アメリカと異なって、日本の金融機関は、それほど財務状態がよくない事業者にも、親戚の個人保証をとることで、お金を貸す。ところがアメリカでは個人保証の習慣がないので、財務状態の悪い事業者には融資をしない。そこで、不健全な事業者は淘汰され、健全な事業者だけが残ることになる。

市場の健全性という観点から言えばアメリカに理がある。でも、雇用という面で言えば、日本に理がある。

日本の完全失業率は4.2%、アメリカが7.9%(平成25年1月時点)。大雑把に言えば、その差の約4%の人々が、不健全な事業者のお陰でその日の糧を得ている計算になる。

健全な事業者とその関係者にとっては、保証をつけてもつけなくても、潰れないのだからどうでもいい問題だし、金融機関にとっても、健全な事業者の個人保証などつけなくても融資できるし、融資したいものである。

だが、融資の際には個人保証が必要、という建前をとることで、肝心要の一番保証が必要な不健全な事業者に個人保証をつけてもらえる。彼らが親戚などへ個人保証を依頼しやすくしている。

「事業をするなら、必ず個人保証が必要なんだよ。うちは健全な企業だよ。(粉飾決算書を渡しながら)でも、どこもこういうことをしなくちゃならないんだ。俺が特別じゃないんだからしょうがないじゃないか」
「それならいいよ。ハンコ押そう」
という会話が、日本中のいたるところで行われているに違いない。

財務状態が悪い企業で働かざるを得ないような、どうしようもない人間は犯罪を犯す可能性が高いだろう。破産企業の連帯保証人が財産を失って苦しむ人々がいたとしても、犯罪が増えて犯罪被害者を生み出す社会よりはマシ、という考え方もある。

日本社会の安定度合い、安全度は、世界でも際立っている。それを「民度」のような社会道徳に求める人が多いけれども、実は、様々に張り巡らせた独自の「システム」が寄与する面が大きいのかもしれない。個人保証制度は雇用の安定装置の一つなのかもしれない。お互いに持ちつ持たれつ、相互依存の関係をシステムとして制度化する最たるものだ。

目の前で苦しむ1人の人間を救うために、10人の無辜の民を殺す選択をする選択を否定するのならば、個人保証制度も、なくしてはいけないものなのかもしれない。

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