2013年3月25日月曜日

具体的な説明がないと

NHKの朝ドラマ『純と愛』はかなりの評判をとり、視聴率も良かったようだ。

脚本を担当したのが『家政婦のミタ』を書いた遊川和彦。『純と愛』もまた、登場人物にこれでもか、これでもか、と過酷な運命を与え、ジェットコースターのような栄光と転落の繰り返しをお茶の間に見せつけた。このことが、視聴者に大きなインパクトを与えたらしい。

テレビを観てないのでまったくの想像で書いているのだけれども(あかんがな)、面白そうなドラマだと思う。

ところで私が今回書くのは、このドラマのことではなく、撮影現場の主人公の、とあるエピソードについてである。

平成25年3月22日付の「日刊サイゾー」のネット記事によれば、主人公の夏菜と脚本家の遊川氏との対立はかなり深刻だったそうで、こんなやり取りが現場で行われていたそうだ。
「最初はたしか夏菜さんが風邪で声が出なかったとき。遊川さんが『みんなお前のためにやっている。誰も言わないからオレが言うけど、もっと主役としての佇まいをきちんとしろ』と言うと、夏菜さんは小声で『佇まいとか言われても』って文句を言いながら、その場を出て行ったんです。その後、役の中で両親に挨拶をするシーンで『凛とした感じで』と言われると『凛とって言われても、よく分かりません』と言い返し、これ以降、ぶつかることが増えたんです」(NHK関係者)
この記事では、夏菜のワガママぶりを指摘するようなニュアンスだが、遊川氏の演技指導に問題があるのではないだろうかね。

こんな抽象的な指示をされた方はたまったものじゃないと思うのは私だけ? 曖昧な指導をされても、演技する役者にとっては困るしかないではないか。

だが、この手の騒動が起こるのは、ドラマの撮影現場ばかりではない。みなさんの仕事場でも、よくある話だろう。

仕事ができる上司なのに、具体的な説明はからっきしダメ。部下に対しては抽象的な説明のオンパレード。
「もっとしっかりやれ」
「気合を入れろ」
「もっと分かりやすく説明をまとめろ」
などといった抽象的な指示をして、部下に食い下がって尋ねられても、うるさがってまともに取り合わない上司が、あなたの前にもいるのではないか。

そして、新人の頃は、曖昧で抽象的な上司の指示にあれだけ憤っていたはずなのに、いざ部下を持つ身分になると、抽象的指示を自分もするようになり、それに部下が従えないと、
「あいつはバカだ」
「無能な新人だ。いちいち説明しないと理解できない使えないやつだ」
などと、自分の能力不足を棚に上げて部下の愚痴を言うようになることも、珍しくはない。

これは、人間の脳の構造によるものだと、私は思っている。脳の中で、話を理解するのは「理性」の部分だが、これは直線的で、筋道のたった物事しか意味あるものとしてとらえることができない。物事を細分化して、それを一本の筋道に再構成した上でないと、脳の中へ入力できないのだ。

ところが、出力端子は逆に、抽象的概念を好む。
「ズバッとした」
「ここをガーンと」
などといった、擬態語をよく使用する人も多いと思う。

何故なら私たちが向かい合う現実や物事は、論理的なものではなく、様々な矛盾を含んだ曖昧模糊なものだからだ。いったん論理的思考によって理解した「現実」は、脳内で抽象的な観念へと再び再構築されて、脳内に、より「現実」に近い像を結ぶ。

さて、それを相手に伝えるために、その過程となる莫大な思考の筋道をすべて語ることは、冗長で時間がかかる。適度に抽象化して、それでいて具体的となる説明の匙加減は難しい。「現実」に偏った、抽象的な観念で話すのは楽だし、それの方が「現実」により近い、正確な説明だと話者は信じる。

言われた方は理解出来ない。

たとえば夏菜に対する演技だって、
「凛とした感じ」
などという曖昧な指示ではなく、
「もっと胸を張って、普段よりもゆっくりと、腹式呼吸を意識して、声は張り上げた舞台での発声をイメージして、アゴをやや突き出した演技をしてほしい」
と言えば、もっと分かりやすいと思うのだ。

脚本家であるのだから、遊川氏は言葉の達人だ。ほんの少し手間暇をかければ、具体的な指示ができるはずなのである。でも、それが面倒だからしないだけだろう。

もっとも私も、具体的な説明をついつい怠って、一悶着あることが多々あるため、他人ごとじゃない。このような対立はよくあること。気をつけないと、ね。

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