2012年11月17日土曜日

勝海舟の話

昨日、明石家さんまとその息子・二千翔くんのエピソードについて書きましたが、それと似たエピソードを、ふと思い出しました。

それは、彼とは全然関係ないように思える、江戸末期の政治家・勝海舟(かつかいしゅう)のエピソードです。

勝海舟については多くの人がご存知でしょうから、簡単に述べるにとどめます。
16歳で家督を継ぎ弘化2年(1845年)から永井青崖に蘭学を学び、赤坂田町に私塾「氷解塾」を開く。安政の改革で才能を見出され、長崎海軍伝習所に入所。万延元年(1860年)には咸臨丸で渡米し、帰国後軍艦奉行並となり神戸海軍操練所を開設。戊辰戦争時には、幕府軍の軍事総裁となり、徹底抗戦を主張する小栗忠順に対し、早期停戦と江戸城無血開城を主張し実現。明治維新後は、参議、海軍卿、その後伯爵、枢密顧問官となり政府の日清戦争に終始反対した。(Wikipediaより)
勝海舟の素晴らしいところは、先を読み通す能力であり、たくみなバランス感覚であり、周囲に迎合しない反骨精神であり、そして、彼が何よりも自由を愛していたことです。

単なる能吏ではなく、優秀な研究者であり、かなりの剣客でもありました。
ここまでの万能の存在は、現在なかなかいません。

その彼が9歳の頃、イヌに金玉を噛まれて70日もの間、死の淵をさまよったことがありました。
その時に彼の父親である小吉が取った行動が、毎晩息子を抱きしめて眠る、という方法でした。
それだけではなく、「水垢離」という冷水を浴びるという苦行により、一心不乱になって息子の快癒を祈ったのだそうです。

その結果、海舟は一命をとりとめます。
親から無条件に、誰よりも愛されている、という何者にも代えがたい感激が、彼を救ったのかもしれません。

この人に、自分は愛されているんだ、という確信は、とても大切ですね。
強く激しい父親の愛が、一方で海舟を死の淵から救い、一方で二千翔くんを喘息から救いました。

海舟を救った小吉の話と、二千翔くんを救ったさんまの話は、とても似ています。
どちらも宗教的な信念をもって、息子を救いました。

こうしてみますと、勝海舟のご尊顔は明石家さんまと、やや似ている気もしてきます。
当然、勝小吉は、海舟に似ていたはずです。
もしや、明石家さんまは勝小吉の……いや、それはないですね(笑)。

もしも私に子供が生まれたら、彼らのように、絶対の信頼感を与えてあげたい、そう思います。

ちなみに、

これが海舟の半自伝であり、


これが勝小吉の半生記です。

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