2012年4月26日木曜日

フランスに日本柔道が奪われたものとは

文芸春秋(5月号)に、柳澤健氏の書いた「フランスに日本柔道は奪われた」という記事が掲載されています。

題名だけを見た限りでは、
「柔道の世界大会で日本が簡単に金メダルを取れない状況」
とか、
「柔道の国際ルールを定める際に、日本の意見がなかなかとりいれられない現状」
とか、
「日本人の精神性がないがしろにされ、強くなった『勝てばいいんだ』という風潮」
などについて述べられていると思われましたが、読むと、いい意味で予想が裏切られます。
・日本では、柔道の必修化のために指導者が即製され、力不足の指導者が急速に増えていること
・講道館は、大勢の中高生が柔道事故で重い後遺障害を発症しているにも関わらず、問題を真摯に受け止めず、指導者研修を怠り、暴力すら放置していること
・対してフランスでは、柔道の指導者が生徒に暴力をふるった場合は犯罪になるなど、徹底的な生徒保護を心がけていること
・そもそも嘉納治五郎が立ち技を重視したのは、寝技や関節技によって骨折などの大けがを学習院の生徒に与えないためであり、フランスの方が、柔道の根本を守っているといえること
などが、後半に主に書かれていました(前半は、講道館と柔術の因縁の対決だとか、シャーロックホームズのバリツという武術の正体などについても書かれています。読み物としては前半の方が面白いかもしれませんが、後半からは多くのことを学ぶことが出来ます)。

上記に列挙で紹介した通り、そもそも日本の柔道は稽古生の安全を考えたものだったはず。学生の身を守り、ケガをさせないことが指導者にとって大切だ、という過去にあった視点が、今の日本の柔道指導者層から半ば欠落していることに対し、筆者は警鐘を鳴らしています。

フランスを中心とした欧米は、事故があれば各方面の意見を聴きつつ、今後の対処に工夫を重ねていくのだそうです。批判をないがしろにしないという点で、日本よりもよほどすぐれた体制と言えましょう。

日本柔道に今はなくフランスにあるために、奪われたように見えるものとは、金メダルや発言権などではなく、もっと根本的な、嘉納治五郎が掲げた柔道教育の本来の理想像だったというのが文藝春秋の記事の趣旨です。


この記事を読んで、数年前にテレビで紹介された、オリンピック金メダリストの石井慧の練習風景のあるシーンが脳をよぎりました。

彼は稽古の鬼と呼ばれるほど、真面目で、手抜きをしない練習をすることで有名なのだそうです。
ところが、彼も時々失敗をします。それを見ていた斉藤仁(同じ大学の先輩の金メダリスト)が、気合いを入れるために彼を何度も平手打ちするシーンをテレビで観て、吐き気がしました。

バカかと。

稽古を真面目にしない者に対して平手打ちするのですらおかしな話なのに、石井は稽古を真面目にしているんですよ。その途中のミスを注意する方法として、斉藤仁のような有名な指導者が、暴力をふるって指導するのが当然だと思っているのです。テレビに映しても構わないと考えているのです。

おかしくないですか?

生徒や後輩の精神や身体を大切にせず、体罰をふるうような人間が、柔道の稽古中に脳や心臓に大きな負荷を受けた者を素早くみつけて、休息を素早く取らせたり、即座に医者に連れていったりできると思えますか?

しごきが当然だと思い、暴力も指導の一環だと思う、その精神構造が、人間軽視の教育となり、柔道事故による被害者の増大につながっているのではないでしょうか。危険の大きなスポーツから根性重視の思想を一掃しなければ、優秀な学生は集まらず、人気も低迷し、やがて、オリンピックで金メダルを取ることは夢のまた夢となるでしょう。

文藝春秋今月号には、フランスの柔道指導者が守るべき6つのルールなども書かれていますので、ぜひ一度手にとってみてください。



本日気になった記事はこちら。↓


これは感動しました。
この写真を小中学生の頃に雑誌で見るたびに、心を躍らせていました。
「宇宙人は、必ずいるに違いない! アメリカの国務省が隠蔽しているに違いない!」
なんてね。

大ウソもいいところ。この写真には元ネタのトリック写真があったのです。

これは私にとって、大きな、とても大きなニュースでした。


お布施などで法外な集金を求められることは、新興宗教ではままあることです。
今回の判決の特徴は、信者に金を出させた個々の行為について、いちいちその違法性を問う必要はなく、全体として「社会的に相当と認められる範囲を逸脱」しているときには、違法と判断してかまわないとしたところにある。これは、この種の訴えが容易になったことを意味する。
のだそうです。
新興宗教の多くは、水子供養や悪霊退散などで高額なお布施を要求するのが当たり前ですが、これが今後は返還の対象になるとすると、教団としての存続が危ぶまれるところも多いのではないでしょうか。

でもね、「社会的に相当と認められる範囲を逸脱」してるかどうかなんて、だれが判断するのでしょうね。先物取引とか、投資信託とかも、社会的に相当と認められないような損害を購入者に与えているのに、それは社会的に認められているのもおかしな話です。
「儲けましょうよ」
と言って集金した場合は合法で、
「助かりましょうよ」
と言って集金した場合は違法、というのは、少々おかしな話です。


ナイフのようなものを持った男二人の戦闘の映像です。
刃物を持った場合は、こうやって扇風機のように振り回して戦うのですね。
お互いに刃物があると、攻撃が単調になる、といういい見本です。刃物を持っても刃物を使わずに、別の攻撃を仕掛けた方が有効かもしれません。


具体的にいえば、人間の社会というのは「至福」→「覚醒」→「衰退」→「危機」という四つの順でサイクルをくり返しており、それぞれの時代で活躍する世代がその時代の空気を作る、というもの。ではそれに対応する世代はどういう人々かというと、「英雄」→「芸術家」→「預言者」→「遊牧民」というもの。
ノマドという生き方を奨励する人たちが増えていますが、これは歴史のサイクルの必然だというお話。
ほんとかなぁ。たしかに現代は危機の時代ですし、これまで衰退が続いていたのは確かですけれども、1984年から衰退の時期に入った……というのは、バブル景気を完全に無視していることになりますので、いま一つ信憑性が感じられません。


同じキチン質なのに、クモの牙が昆虫の殻を貫き通すのはなぜ? という話題。
同じ鉄でも、ノコギリを使えば車体を切断できるのと同じで、鋭いかどうかの話だろ、と思っていたのですが、そんなに単純な話ではないようです。
硬度が求められる牙の先端部分にはキチン質がほとんど存在せず、代わりに亜鉛と塩素が高い濃度で見つかりました。こういった部分ごとの成分の違いが、牙全体としての高い硬度を実現しているようです。
自然淘汰が積み重なると、こういう牙の仕組みまで作り上げてしまうってのは本当に信じられません。「神」とは「時間と自然淘汰の総称」なのかも。


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